県内の競馬の歴史は
当時、岡山市内山下にあった第3高等学校医学部(現:岡山大学医学部)の裏手を借り受け
1892(明26)年4月:競馬場の開場式を兼ね競馬を催されたのが記録に残っている
その後
1913(大2)年11月:1府7県連合中国競馬大会が奧市新公園で開催され
1915(大4)年10月:岡山市津島の練兵場にて中国連合畜産共進会の開催の余興として練兵場内で競馬大会も催された
1925(大14)年:岡山県愛馬会が結成され
翌年10月:向洲において開催された県畜産共進会の余興としても簡単な馬場を設け競馬を行なわれた
4,5頭の馬を走らせ1着馬に賞金100円を出し予算は1,000円であったそうな
これが意外に人気を集めたので、時の町長を動かして正式に競馬場を設けようということになった
当時、全国に11ヶ所の公認競馬場(後の中央競馬会)が設けられていて、これに準ずる地方競馬も
各県が争って認可申請していたが、岡山県には何らの施設もなかった
1927(昭2)年:県愛馬会を発展的に解消し、県愛馬クラブに組織替えし、町と協力して
競馬場設置計画を立て、県畜連の了解を得て農林省へ認可の手続きをとり西大寺競馬場が設立された
馬場は1周800m、諸設備費すべて町の負担で総工費は8,000円
1927(昭2)年11月:第1回西大寺競馬が西大寺町と県愛馬クラブ協讃により挙行された(主催:県畜連)
レースは、駈歩と騎乗速歩の2つで
駈走の距離は1,200mから200m上りに2,200mまでの6種類
速歩の方は1,600mから2,600mまでの6種類であった
右回りコースで1日12レース開催され単勝式投票券しか発売はされていない
投票券附入場券には1,2および3等があって
1等は投票券10枚で10円、2等は5枚で5円、3等は2枚で2円であった
見物だけのものは50銭の入場券で、学生・生徒は半額であった
配当金は、1票10円以下のものは10円を限度として商品券が出され
もし商品がいらないときは、商店で手数料を引き去って現金を受け取ることができた
諸施設が常設でなく、開催の都度造る実情であったにもかかわらず
その後、毎年春秋2回開かれ、毎日売上げは4万円にも及び円滑に運営され
1931(昭6)年:この年のレースを最後に西大寺競馬場での開催に終止符が打たれた
廃止理由:競馬法の改正により
①馬場が1周1,000mを必要とすること
②施設が常設であること
③産馬の改良、馬事思想の普及などには大都市を背景とすることを必要とすること
などの理由により、岡山市原尾島へ競馬場を移すこととなった
岡山県上道郡西大寺町
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